カテゴリ
 |  航海日誌(294) |  日記(414) |  スポーツ(134) |  戦乙女(35) |  ダイエット(0) |

2011年03月19日

3月11日

トイレに向かおうと移動している最中に揺れが発生。

揺れが強くないうちはまだまだ余裕綽々。上を見上げると真上にエアコンがあったので念のためぐらいの思いで移動。

程なく尋常でない揺れになってきて,転ぶ前にと床にしゃがむ。

床に座っていても振り回されるような揺れの中,近くにあった構内監視モニターのブラウン管が2mぐらいのところから落ちてくる。14インチ程度とはいえ,当たれば危険。もう一個が落ちてくるようなことがあれば危ないので意識をある程度そちらへ割く。見回せば周りは仮設の壁や備品を納めたスチール製のロッカー,どちらが危ないか悩みながら視線は上を見ながら落ちてくるものがないかを気にする。エアコンの蓋が外れて中吊り状態になったりしていました。

今思い返しても,悲鳴などが耳に残った印象はありませんね。

埃などはかぶったものの,モノがぶつかることもなく,何とか揺れが収まるまで無傷で乗り切りました。

周りを見回すと,よくもまぁ自分の周りに致命的な物が落ちてこなかったものだ,と思いました。



自席を離れていたのでヘルメットが手元になかったので,ほんの5mほどを戻ってヘルメットを確保。ついでに工事用ヘルメットを予備で持って席を離れる。建屋から出る途中,案の定ヘルメットを持たずに避難してきた人が居たので持ち出してきたヘルメットを渡す。


建屋外で点呼すると1名が不明。それも,建屋から出た後も余震があるたび立ったり座ったりしている間に合流。何とか無事で欠員なしで胸をなで下ろしました。



人数を確認後,集合場所に移動を開始。その途中,道路のひび割れ他,建屋の入り口の地面が10センチ程度をずれているのが見て取れる。

集まった後は特にすることもなく,集まったみんなと地震情報を見たり話をしたりながら,職長などが安全確認に行く間,指示待ちをしていました。どうやら,不明者や大きなけがをした人は居なかったらしく,余震が来るたびに身構えたりはするモノの,皆結構のんき。



陽が落ちてくるにつれて風も強くなり,寒さが身に応えるようになってきました。

16時ぐらいから,更衣室(1F)限定で私物を取りに戻るのが許可され,次いでキーを持ち出している人から順次帰って良いと言うことになりましたが,私は鍵も財布も執務室(2F)に残したままだったので,このままでは帰れません。


最後の最後になって,建屋の安全判断ができる人の引率付きで事務所へ立ち入りが許されることになり,その人について事務所まで戻りました。

建屋は次の余震でいつ崩れるかもわからないので,同時に立ち入る人は5人に制限され,入れ替わりで荷物を取りに入ります。2階で鞄と鍵,更衣室でジャケットだけをとり,制服は着替えず,安全靴もそのままで出てきました。薄暗い中で目にした事務所は,机の上のモノは落ちて床に散らばり,什器は動き,壁も倒れて,天井も落ちるなど凄い状態になっていました。



事務所から出てくると職場の女の子が泣いており,聞くと,電話で聞いた話として「家も流され,船が農協(?)のあたりにまで来ていたり,周囲の建物は飲み込まれて何もない。」とのこと。そのときは,津波の被害の情報は入っておらず,大げさなのでは?と思っていました。



私物を回収した後は,従業員を街に帰すためのバスが待っていましたが,帰る全員の準備ができるまで待つので出るのはいつになるかわからない,ということなのでボスの車で送ってもらうことになりました。


車は駐車場を出る前から行列になっており,のろのろとしか進みません。所々で段差ができて速度を落とさなくてはならなかったり,道路が陥没してよけて走らなければならなかったせいでしょう。


国道6号に出るとさらに車の流れが遅くなり,会社から10キロ程度の道のりを1時間半かけても家まで辿り着けず,諦めて途中で下ろしてもらって自転車(折りたたみ)で帰宅。

渋滞の原因は,沿岸からの避難者を山側に逃がすため,信号を止めて警官の手動で交通誘導をしたせいでした。車中では災害に応じて買い溜めに出た人のせいではないかというはなしもありましたが,もっと深刻な事態だったようです。


うちに戻ると,食器が棚からこぼれて床で割れているといった事はあったものの,事務所の参上からすると家の損害は拍子抜けするといってもいいぐらい軽微。もちろん,家具が倒れてものが散らばったりという事はありましたが,天井がはがれたり照明が落ちたりはしていませんでした。


インフラ系を確認すると,電気はOK,水はOKの模様,風呂場のシャワーが地震で回って水が流れ続けている。ガスは当然停止。ケータイは圏外。ネットはダメ。


水と電気が生きているのには助かるけど,携帯が圏外なのは予想外。通話は無理にしてもメールぐらいは送れると思っていたんですが……



家に連絡を取れていないので,こちらのことを心配している筈。とりあえず歩いて最寄りの公衆電話へ向かいましたが,電話のあるセブンイレブンごと闇に沈んでいました。いったん家に戻ってまた自転車を持ち出して本格的に公衆電話を探しに出かける。

交通整理をしている警官や相馬警察署に公衆電話の場所を聞くことで,やっと公衆電話を見つけ無事を伝えることができました。やっぱり連絡がないのを心配していた模様。妹とも連絡が取れないそうですが,こっちに出張できているという話もないので大丈夫だと信じることにする。
この時点でもう20時半ほど。会社から帰る道すがらと走り回った範囲でも営業していたのは,薬局が1軒ぐらいでしたね。


連絡は取ったので,家に戻って動線の確保を開始。部屋の奥からは食器や食器棚,紙の山で安全に歩くことができないので,窓を開けてそちらからの出入りを優先することに。自転車も窓のすぐ外に置いておき,いざとなったら乗って逃げる体制。

実際,余震で揺れるたび,靴のまま窓から飛び出して収まるまでそのあたりをぶらつくということが何度もありました。

同じアパートの住人は建物に入る気がないらしく,車の中で一夜を過ごす体制の模様。


片付けながらニュースと地震を気にかけているうちに,いつの間にか日付が変わっていました。


posted by 文公主 at 21:08 | 福島 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。